四季の風2

カメラが好きで休みには写真を撮り歩き。野鳥、花などの自然。ユーチューブあります。

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高幡不動尊
京王線「高幡不動」を下車すると駅前から参道が続きます。
京王線は年中乗ってるものの有名なここには行ったことがなかったので、高尾に行った帰りによってみました。もみじ祭りの前日で紅葉はまだ、現在は紅葉まつりで、30日まで開催中。
裏にはハイキングコースがあり、緑の多いお寺でした。

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五重の塔が見事、モミジは裏側に多くあります。


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本堂、不動堂(菊まつりの最終日)


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真言宗智山派別格本山、高幡山明王院金剛寺は古来関東三大不動の一つに挙げられ高幡不動尊として親しまれている。
その草創は古文書によれば大宝年間(701)以前とも或いは奈良時代行基菩薩の開基とも伝えられるが、今を去る1100年前、平安時代初期に慈覚大師円仁が、清和天皇の勅願によって当地を東関鎮護の霊場と定めて山中に不動堂を建立し、不動明王をご安置したのに始まる。(HPより)
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紅葉はじめ


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手前の木がイロハモミジだと思います。赤くなったら見事でしょう。


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奥院(寺宝殿)
天井には龍の絵があるそうです。


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奥殿入口

土方歳三像
土方歳三は日野市の生まれ。
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巡礼路にはそれぞれ違う顔の石像

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藤蔵・勝五郎生まれ変わりのゆかりの地

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程久保村の藤蔵(とうぞう)と中野村の勝五郎の生まれ変わり物語は、東京都日野市程久保と隣接する八王子市東中野を舞台に、江戸時代の後半の文化文政期(1804~1830)に起りました。平成27年(2015)は、主人公勝五郎の生誕二百年にあたります。
人が生まれ変わるという伝承は、日本だけでなく世界各地に伝えられていますが、具体的な内容は次第に忘れられ、昔話や世間話という形で語り伝えられていることが多いのです。
「勝五郎生まれ変わり物語」は、当事者が実在し、生没年や住んでいた場所、墓所などもはっきりわかっているという点で、他の生まれ変わり伝承とは一線を画するものです。それは、勝五郎が語った内容を、当時の文人・役人・学者などが、同時期に記録し、その記録がずっと伝えられてきたという点にあります。そして、その記録は、明治になると小泉八雲の手で、海外に紹介されていきます。(HP引用)

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今年できたばかりの記念碑


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駅から近いので行くのは楽。

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晴天に恵まれた川越まつり

西武線の本川越が一番近い駅で本部もその近くにあります。各町内が山車をもっていて多くは毎年巡幸をしますが、町によっては出ない年もあります。
お囃子は江戸の葛西囃子が源流だそうで小江戸の由来です。

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大手町 
鈿女の山車(うずめ)明治5年作、県の文化財

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21日(日)全部の山車が出ているわけではないようで、全部で29台の山車がありますが10年に一度の大祭の時に揃うようです。
祭りの起源は古くて約370年前、山車行事は1826年には10の町が川越城に向かう大行列が描かれているそうですから200年以上の歴史を持つようです。

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連雀町
太田道灌の人形で昭和27年作なので比較的新しい山車でほぼ毎年出ているように思います。山車は1基1億何千万を超えるそうです。

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左) 三久保町
源 頼光  明治30年代作


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人形使いの踊りもあるようです。(菅原町)


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通町


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商工会議所

蔵通りが山車のメイン巡幸、たくさんの山車が行き交い、出会うとお互いに向かい合って曳っかわせというお囃子と踊りの競演となります。

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山車の出ない町もこうして人形の展示を行っています。
仲町 羅陵王(らりょうおう)


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川越の山車のメインイベントは午後6時半ごろから9時まで行われる巡幸。
山車が2~3台がであうとにぎやかになる。観光客もまるで満員電車のように押し競まんじゅう状態、のんびり撮影してられません。



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豊島区 東福寺

巣鴨に用事があって、時間が少しあったのでこのお寺によって見ました。坂の途中にある広いお墓と本堂、右手には広い文化会館を持っている観光山 慈眼院 東福寺、真言宗豊山派のお寺。

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本堂、左に白梅がうつくしい。

寺社を見るのが好きで、出かけて寺社をみるとつい入ってみたくなります。

JR大塚駅の南東、徒歩10分。住宅街の中の高台にある。開創の年代は明らかではないが、永禄5年(1562年)良賢という僧が中興したと伝えられる。はじめは小石川大塚にあったが、元禄4年(1691年)に現在地に移転した。
  かつてこの地は牧場が多く、寺の門前には伝染病で死んだ乳牛を供養する「疫牛供養塔」(明治43年建立)がある。また、石段の脇には「左巣鴨庚申塚、向巣鴨監獄、右大塚道」と刻まれた庚申塔(明治37年造立)がある。
  境内には、廃寺となった福蔵寺から引き継いだ十羅刹女堂があり、十羅刹女神を安置している。また、墓地には水戸藩の儒者国友善庵、守山藩の儒者戸崎淡園の墓がある。(豊島区のHPより)

私は巣鴨から行きましたが、巣鴨から15分くらい。

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巣鴨駅前通り。


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東福寺の山門、閉まっていましたので、脇の入り口(文化会館)のほうから入りました。


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ボケと二宮金次郎


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どなたかの彫刻らしい?


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「左巣鴨庚申塚、向巣鴨監獄、右大塚道」


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「疫牛供養塔」


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大きくなります。


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十羅刹女堂


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十羅刹女堂  十羅刹女神


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江戸時代後期の儒者の碑。
常陸(ひたち)(茨城県)の人。陸奥(むつ)守山藩(福島県)につかえる。著作に嘉永(かえい)4年(1851)刊行の「論語説」など。名は久徳。通称は九二八。

街中の寺社、それぞれ歴史を感じさせられました。

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途中の電柱にはこんなのも。



今夜はスーパームーンの逆現象。3月6日未明
今年もっとも小さくみえる月だそうです。
何と言うのでしょう?

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すこし雲がありました。

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